下町診療所 髙橋 正憲 院長

下町診療所 髙橋 正憲 院長 MASANORI TAKAHASHI

横浜・根岸生まれ、根岸育ち。東海大学医学部医学科を卒業。救急車が外来前に渋滞するほどの総合病院で研修を受け、同病院麻酔科に入局。麻酔科の専門医/指導医、内科認定医に。その後10年間、奄美大島で「断らない(断れない)医療」を実践。2022年4月、地元横浜で地域に貢献すべく『下町診療所』を開設(JR横須賀線「根岸駅」より徒歩9分)。

医師を目指し、地域医療に貢献したいと考えるようになるまで

 卒業を間近に控えた工学部4年生の1月にヘルペス脳炎となりました。数日間生死をさまよい、奇跡的に生還することができましたが、その後遺症として下半身不随となり、「一生車椅子です」と告げられたのです。その時点では、「ホノルルマラソンにもう1回出場して自己ベストを更新しよう」と考えていました。車椅子の方が走るより早いですからね(笑)。ところが、大学の卒業式の前日になって、障害を理由に会社の内定が取り消しとなりました。その時はさすがに落ち込みました。まあ、5秒くらいですけども(苦笑)。そこで、「医者になろう」と思ったわけです。「医者になろう」と思った理由は1つ2つではないですけども、主治医の方の影響は非常に大きかったと思います。下半身不随となって神経内科に転院し、その方と出会い、ステロイドによる化学療法を試してみることになりました。今や標準的な治療となっていますが、当時は有り体に言えば、「実験」ですよね。しかし、おかげでなんとか歩行が可能になったのです。実は、その先生も文学部を出た後に医学部に入り直した経緯を持っていました。おそらくそれも頭に残っていたのでしょうね。先生は、人の話をしっかり聞いてくれる方でした。病室に入ってくると、担当ではない患者さんにも全員声をかけていくのです。当直で忙しいにも関わらず、です。だから、先生が部屋に入ってくると、部屋の雰囲気がパッと明るくなっていました。「先生のようになりたい」と思ったことが、この道に入る大きな拠り所になったのではないかと思います。

 晴れて医師となったのち、「救急車の行列ができる」との評判があった総合病院で研修を受けました。当時は今で言うスーパーローテーションを取り入れているところは限られていて、そのうちの1つがその病院だったのです。やはり、困っている人がいたらぱっと駆けつけて助けてあげたいですよね。実際、後のことになりますが、船で急病人を助けたこともありましたし、飛行機でてんかん発作を起こした人を治療したこともありました。なぜか、そういう場面に出くわすんですよね(笑)。救急医療を中心に初期研修を終えた後、ペインクリニック(麻酔科)に籍を置きました。そこで専門医および指導医を取得したのですが、癌の患者さんを拝見していると、やはり内科の経験が必要不可欠と感じ、奄美大島に赴くことになります。島であれば、専門も何もすべてを診る必要がある、と考えたゆえのことでした。奄美大島で10年。毎日懸命に働いていく中で、はじめに麻酔科の後輩の医師が島に来てくれ、その後も内科の僻地医療に情熱を持って取り組んでおられる先生が道をつけてくれたおかげで、多くの若い医師が続いてくれるようになりました。島での人材育成が軌道に乗った段階で地元の横浜に帰り、地域医療に貢献すべく、2022年に『下町診療所』を開設するにいたったのです

「断らない医療」を実践

 「困ったらどうぞ」と言える、日本一敷居の低い診療所を目指しています。もちろんすべてをここで解決できるわけではありませんが、なんでも相談はできますし、道をつけることは可能です。例えば当診療所では心療内科の診察もおこなっています。「うつ病ではないか」と疑い、受診された方がおられました。エコーで調べてみると、バセドウ病(甲状腺)ということがわかったのです。大きな病院に行くことも勧めたのですが、「ここで診てもらいたい」という希望があり、治療の結果、回復し、その後は妊娠ができるまでになりました。「なんでも診る」という姿勢でなくては、その方が訪れることもなかったでしょうし、病気も見つからなかったでしょう。

 スタッフは大変かと思います。先生がなんでも診ようとしますからね(苦笑)。うれしいことに現在勤務しているスタッフは、その趣旨に賛同してくれている人たちばかりです。「困った人をなんとかしたい」と思う人が集う診療所であり続けたい。

総合診療科へのこだわり

 総合診療科というものを世に広めていきたいと考えています。総合診療科というと、“内科の総合診療”と思われがちですが、そうではないんです。骨も見れて縫ったり切ったり、文字通り、なんでも診るということですね。救命救急が最もイメージに近いと思いますが、救急はファーストタッチのみで、その後は担当の診療科に預けることになります。実際には、辛い顔をしてきた人が診察を経て、笑顔で帰っていくまでが医師としての醍醐味なんですけどね。むろん良くなっていく人ばかりではなく、なかなか治っていかない方もいらっしゃいます。その時に重要なのが「寄り添う」ということ。ペインクリニック在籍時、そこは患者さんにとって最後の砦でした。ペインクリニックは、ブロック注射やお薬で「痛みを楽にしてくれる科」というイメージですが、それでも良くならない方もいます。その時にできることは、とにかく話を聞くことなのです。治せないから他の施設へと紹介するのも1つの解答ではあります。しかし、患者さんからすれば見放されたような気持ちになることもあるでしょう。「誰もわかってくれない」と。ここでは、治せないからといって見放すようなことはありません。その時点でわからないのであれば、勉強をすればいいのです。実際、私が専門医のサポートを得ながら心療内科の診察をここでおこなっているのも、ニーズを感じ、修行をしたからなんですね。困難で複雑な状況を抱えた患者さんほど救いを、拠り所を求めます。決して見放すことなく、1つの希望に私たちがなっていければと考えています。

みんなが幸せになるにはどうしたらいいか、ということが前提に

 懸念としてあるのが、独居老人の問題です。奄美大島は日本の人口動態の20年ほど先を行っていると言えるでしょう。若い人は本当に少ないですし、ご高齢の方も夫婦でいる間はいいのですが、大抵はどちらかが先立たれ結果、寝たきりで一人暮らし、という方が少なくないのです。島がそれでもなんとか成り立っているのは、隣近所との交流があるから。みんなが互いに面倒を見るからなんとかなっているわけですが、ここでそれが通用するかというと、おそらく難しいでしょう。そう考えた先に、つながりを求める人たちが集まれる住宅のようなものを作れないかと考えるようになりました。病気云々ではなく、みんなが幸せになるためにどうしたいいか、ということを考え続け、実行していきたいと思っています。

地域のみなさんへメッセージ

 繰り返しになりますが、みんなが幸せになるために、ということが前提としてあります。病気を治すことも大切ですが、何より優先するのは、その人にとっての幸せです。当診療所では、どんな方に対しても適切な医療というものを考え、提供していきます。困ったことがあれば、いつでもご相談ください。

 

※上記記事は2024年1月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

下町診療所 髙橋 正憲 院長

下町診療所髙橋 正憲 院長 MASANORI TAKAHASHI

下町診療所 髙橋 正憲 院長 MASANORI TAKAHASHI

  • 出身地: 神奈川県
  • 趣味: 神輿、ダイビング、スキー、バイオリン、ヨット
  • よく手にとる本: 経営に関する様々な書籍
  • 最近観た映画: 『トップガン マーヴェリック』
  • 座右の銘: 「人間万事塞翁が馬」
  • 好きな音楽・アーティスト: クラシック/古澤巌、石田泰尚、久保田利伸、安全地帯、MISIA
  • 好きな場所: 奄美諸島、北海道

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